心とカルマ/超感覚的知覚の倫理と自己責任の精神

ねんてんです。

瞑想をやってきたり、やっていきます。

お気持ちを察しています。

 

概要

責任の所在が、テレパシー能力とギャンブル運の双対性を示します。

 


あなたは超感覚的知覚(ちょうかんかくてきちかく)という概念を知っていますか?

この言葉はESPとも言われます。ESPを持つ人をエスパー(ESPer)と言います。

 

特殊な能力を指すように思えるこの概念は、

実際のところ、人間の基本的な能力にすぎません。

 

 

超感覚的知覚という言葉の意味は、

感覚(物理的知覚)を超越したプロセスによって引き起こされる知覚、ということです。

 

日常の様々な現象を観察すれば、そうした感覚はありふれているものであるとわかります。

 

 

例をあげましょう。

 

私たちは計算を行うことができます。

 1+1 を計算したとします。

 1+1 くらいであれば、感覚的知覚を利用して、

答えが になると計算できるかもしれません。

 

しかし、例えば 987×654 を計算してみましょう。

そのとき、五感による知覚が一体なんの役に立つでしょうか。

 

五感はせいぜい電卓やメモ用紙を知覚するのに役立つだけで、

五感そのものには計算能力はありません。

 

それでも私たちは掛け算の結果を知るための

計算方法(あるいは電卓の叩き方)を知っています。

 

五感ではなく、その計算能力を利用して、

987×654の結果を知覚することができます。

 

 

つまり、何かを計算することは、超感覚的知覚です。

 

 

計算以外にも、私たちの生活のあらゆるところに、超感覚的知覚は見出せます。

言葉を解釈できることすら超感覚的知覚です。

言葉の物理的な状態と意味の結びつきは、感覚を超えた関係性にあるからです。

 

私たちが普段から行なっている知覚や思考について、意図的に練習を行うことで、

脳の成長の方向性を無意識下に刷り込むことができます。

 

そうして様々な超感覚的知覚が発生しています。

 

 

それはそれとして、超感覚的知覚という言葉をあえて使用するとき、

そのような、ありふれている現象に関する知覚はあまり想定されません。

 

もっと不思議で、超能力と言われるようなものが、超感覚的知覚という言葉から読み取られています。

 

 

前置きが長くなりました。

私にとって最も大切だった超感覚的知覚である、テレパシーについての話をします。

 

テレパシーというのは

遠くの人と思念でコミュニケーションを取れる

という能力とされることが多いです。

 

ただし私がテレパシーという言葉を使う場合は、

他者の心を幻聴として感じ取るという意味で使っています。

 

幻聴なので、物理的な音声と区別できず、まるで実際に話されたかのような音声として、

他者の心を聞き取るということになります。

 

人によってはもっと便利で、心の声と物理的な声を

ちゃんと区別できるテレパシーが発生することも

あるかと思いますが、私の場合はそのような出来事でした。

 

そして遠くの人とのコミュニケーションをとるというより、

近くにいる人の心を聞き取るというものになります。

 

そのようなテレパシーを少し控えめに表現した概念として、

エンパシー(他者の感情を知覚する)という能力もあります。

 

人によって程度の差こそあれ、空気を読む能力を期待され、

そのことを前提として人々が活動するコミュニティは、

超感覚的知覚者・エスパーによる社会であると言えます。

 

 

人は、超感覚的知覚を持つとき、自分自身の振る舞いが

他者の思念から強く影響を受けるようになります。

 

絆で結びついた人々の心は、他者との境目が曖昧になり、

自我が希薄となって周囲と一体化していきます。

 

そのような精神状態において、苦しい活動から離れ、

自己を確立する文脈として、自己責任という概念があります。

 

 

超感覚的知覚者は、自己責任という概念がいかに虚妄であるかということを、

身をもって理解しているがゆえに、 他者との精神的干渉を防ぐ際、

自己責任という超感覚的知覚への対抗呪文を自ら利用しメンタルコントロールを行います。

 

超感覚的知覚者は、自分の言動が他者へ

深く影響を与えてしまうことも、魂のレベルで知っています。

 

しかし、影響を与えた他者の活動まで

いちいち面倒見てられないし、実際見る必要なんてありません。

 

それでも無意識に感じてしまう罪悪感に対して、超感覚的知覚者は、

自己責任という呪文によって浄化を行います。

 

空気を読む能力をテレパシーへと至らせるのに、必要な

精神状態の一つは、相手の全てを自己責任で終わらせない愛情です。

 

しかし、テレパシーによって心が通じ合ったからといって、

相手と幸せになれるわけではありません。

 

テレパシーによって通じ合った心も、それが表現されるのは最終的に社会的な場にすぎません。

自分が自分と通じ合っていなければ、そして相手自身が相手自身と通じ合っていなければ、

心が聞こえたところで何の解決も与えることはありません。

 

お互いがあらゆる意味で正直でなければ、心を明らかにすることは愛の具体化には繋がらないでしょう。

 

 

超感覚的知覚者は、人々の絆を維持するため、嘘をついてでも心を通わせます。

彼らは茶番の守護者であり、自己責任の呪文を虚空に響かせ、

全ての行動は本心によるものであったのだという過去を再演します。

 

そして同時に、自己責任は浄化の呪文でもあるため、これを唱えるだけでカルマが解消されます。

 

ここでいうカルマは、運の良さについての話です。

よくわからないと思うので、具体的にいきます。

 

自分の現状に対する理由付けの傾向は、大きく二つに分類されます。

一つはこれまで話した、全ての原因は自分にあるとする考え方。

もう一つは、全ての原因は社会にあるとする考え方です。

 

 

実は、風の噂によると、

 

自己責任的な考え方をする人は

ギャンブル運が良く

社会構造に原因があると考える人は

ギャンブル運が非常に悪い

 

という神秘が存在しています。

 

あなたはどう思いますか?

わたしは少しわかるような気がします。

 

もしこの現象に説明をつけることが許されるなら、それは

自己責任と割り切って浄化できる人と、

それとも社会に原因があると考えて社会のカルマを引き受けてしまう人、

この両者のカルマの差が、ギャンブル運に影響を与えているのかもしれません。

 

あなたはテレパシー能力とギャンブル運のどちらにステ振りをしたいと思いますか?

 

瞑想は、自分自身の精神状態を自在に変えることを可能にする技術です。

 

状況に応じてこれらを切り替えることで、

世界を欺き、全てを得ることが可能になります。

 

やっていきましょう。