魂のたずな

ねんてんです。

瞑想をやってきたり、やっていきます。

己のたずなを握れ。

 


 

他者に作用することを目的とした瞑想が、存在しています。

 

そうした瞑想は、魔法とか、エネルギーワークと言われるかもしれません。

 

 

このような内的活動が相手に通じるとき、

大抵、効いたのかどうか相手から教えてもらわなくとも、

自分自身でなんらかの手応えが感じられるものです。

 

 

内的活動が相手に通じる」とは一体なんだろうか

とお思いの方も存在するでしょう。

 

相手に通じることの意味の

全てはわかりませんが、たとえば

 

作用しようとした相手から自然に

「なにかを感じた」

という言葉をもらい

コミュニケーションが成立する

 

ということが、内的活動が相手に通じた、という状況の

一例としてあげられます。

 

しかし、そうしたコミュニケーションが通じるときには、

相手から言葉をもらわなくとも、

その前に自分で手応えが感じられることがほとんどです。

 

感じた手応えは、一種の満足感に近いかもしれませんし、

その感覚は、魂のたずなを制御するような印象があります。

 

手応えを感じられるように自分の表象をコントロールすることは、

瞑想する際の一つの基準となるでしょう。

 

魂のたずなの感覚がないときに、

最も明確に・効率的に、それを感じられるのではないか

と思う瞑想法があります。

 

誰かを呪いたいという気持ちを

しっかり我慢する

 

というものです。

 

つい、飛ばしそうになってしまう生霊などを、我慢する。

 

これが上手になると、エネルギーを送る練習を、

実在する相手なしに、一人で練習することができるようになります。

 

もし、たずなを握る力が不十分だと、

仮想的な練習なのに、記憶から誘導された(実在する)相手に送ってしまう

イメージが生まれ、制御しきれず、

練習するどころの話ではなくなってしまいます。

 

ですが、たずなを握る力に十分余力があれば、

他者にむやみにエネルギーを飛ばさずに、

自分の中だけで仮想した他者に、エネルギーを送る練習ができます。

 

他者の集中力を高める魔法や、

他者に超視覚化を起こす脳内サイコキネシスなど、

本来相手を必要とする瞑想も、実際の相手なしに

一人で試し撃ちができるようになります。

 

もちろん本当に効くかどうか、ということは、

相手がいて最終的にわかることです。

 

しかし、こういう練習は、実験できる他者を用意するのも

大変だったりするので、一人で練習できるというのはとても便利です。

 

魂のたずなを握って、それぞれの魔法をやっていきましょう。