分離と同調 および 痛みと恐怖

恐怖とは「分離」の意識から生まれる感情のことだ

というような表現を、聞いたことがあります。

 

この言葉があやふやな印象のまま、しばらく年月が経って、

ようやく最近、少し腑に落ちるような体験があったので紹介します。

 

最近私はYouTubeをちょくちょく見ていて、

特に へきちゃん⭐︎トラちゃん というYouTuberが好きなのですが、

まず彼らの動画を一つ紹介します。

※注意※ これは流血を伴う動画です

 

 

最初にこの動画を見たとき、私はすべての感情がやってきて世界になりました。

 

彼らに関連する動画を掘り下げて、再びこの動画に戻ってきたとき、

もはや彼らの流血に一切恐怖していない自分を認識しました。

 

 私はこの動画が生み出す視聴覚的感覚に同調したことで

これらから一切の痛みや恐怖を感じなくなっているという印象を感じました。

 

試しに、傷害を伴うような他のチャンネルの動画を視聴する中で、

現れてくる演者への同調を意識していくと、

映像から生じる共感覚的な痛みを、瞬間的ながら軽減できると感じました。

 

 

例えば以下に紹介するような動画も痛々しいため、恐怖の解放の練習に使えます。

この動画の傷害シチュエーションの多様さは、

同調のしやすいもの、しにくいものを様々に表現してくれるので、

同調による恐怖感の解消を練習する上で、とても便利な印象があるので紹介しました。

(とはいえ全部サボテンのトゲなので、先端恐怖症だと無理かもしれません)

 

 

風の噂ですが、かつてブッダは、苦行を無意味だと言ったそうです。

なぜなら、苦行をする私はすごいという優越感、エゴを成長させるだけだからだと。

 

確かに苦行は大変なので、そればっかりやってるのに成果もない、周りに理解されない、

とかそんなことを考えてると、どんどん卑屈になって、

苦行をやってる私はすごいのだという優越感にとらわれるというのは納得できます。

 

しかし苦行をした「最初の人」は、苦行をしたことをもって

他者に対する優越感を得ようとしていた、とはあまり想像できません。

 

私が過去を視たところによると、

例えば、瞑想しているうちに気持ちよくなりすぎて、

ご飯を食べるのも忘れているだけの人のことを、

周りのよくわかってない人が、

あれは断食という苦行をしているのだろう、

と勝手に解釈したような気がします。

 

他にも、痛みに対する同調を利用して

梵我合一を体験した人だって

最初はいたのではないでしょうか。

 

 

最初の人が、自分の神秘的体験を周りの人に話したからこそ、

なんの意味もないように見える苦行に権威が付与され、

時を経るうちに苦行が形骸化していった側面があったのだと思います。

そのことが、ブッダが言ったような優越感・エゴの肥大化ということなのだと思います。

 

苦行が形骸化する側面を持つのは、結局のところ、

神秘体験を言葉として伝えていくことが難しいからだという気がします。

 

 

ところで、僕が過激な、痛々しい動画にハマった理由が少しわかったのですが、

過激な動画を見た際の苦しみから逃れるために、

過激なことをしてる人たちに同調することで、恐怖感を解消しているがために、

その同調がYouTuberへのラポールを形成しているのだということです。

このプロセスは、メンヘラの取り巻きがリスカやリスカ跡の写真をふぁぼるのと全く同じで、

他にも、リスクをとる人間がかっこよく見えるのと同じでもあります。

 

 

恐怖を解放するのは、あなたです。