絶頂へ至る社会性

こんにちは。ねんてんです。

多様性してますか?ダイバーシティは、あなたです。

 

専門家によれば、人は幸せになるために生きるといいます。

僕が大学に入学した日に勧誘された、

学生をターゲットとした仏教系新興宗教サークルでも

そう言っています。※これは宗教勧誘ではありません

 

とはいえ、幸せになるために生きるというのは、トートロジーにすぎません。

もちろん、何がトートロジーになるのかということは、

世界の本質が垣間見える情報ではありますが、

幸せとは何かということも、生きる目的は何かということも、

どちらも同じくらい意味不明だということです。

 

目的とは、自分の望ましいことを具体化した表現であり、

幸福とは、ある状況に対して自分が望ましいと感じることです。

人は幸せになるために生きる、という言葉は、

それ自体では正しいです。

 

今のままではいけないと思います。だから、

人間は今のままではいけないと思います。

 

トートロジー(同語反復)が新しい情報を提示することはありません。

トートロジーが示す意味は、言葉の外、

なぜその言葉を提示したのかという文脈へ展開されていきます。

 

人は自分の根源や信念に一致している現実にはなんの感情も、印象も、抱きません。

自分の根源と信念と比べて、現実が正しくなかったり、誤魔化しや嘘、

間違い、予想外があるときにこそ、喜んだり、悲しんだりします。

 

妥協をしない性格であるほど、無意識に、抱いている信念と

比べたときの違和感にも敏感に気づくかもしれないし、

一度誤魔化しの快楽を得ると、とことん溺れるかもしれません。

 

人は幸せになるために生きるという言葉には、ひとつの誤魔化しがあります。

幸せになるということには、二つの側面があります。

何が幸せかを決めるということと、

決まっていることを幸せにするということです。

 

自分の目的を決められるときは、それを運命と信じ、幸せを期待する。

特に目的を決める気もなければ、日々の小さな幸せを集めます。

 

そして、幸せかどうかということは、実は、決して自分だけではわかりません。

喜びを感じるのは自分の感情であり、感情と幸せは異なります。

幸せとは社会的に作られるのもので、他者とのコミュニケーションの中で

創発される高次の感覚が幸せなのです。

 

よく考えてみてください。

人は幸せのなかにあるとき、無心になります。

自分が幸せなのかどうかを観察する自分がいなくなります。

そのとき自分は世界に深く潜り込み、一体化しています。

もはや自分が幸せかどうかは、自分一人ではわからないのです。

 

自分がいま幸せだったことを確認するには、

自分を世界から切り離して対象化できるように、

思考の次数を上げて、意識を取り戻し、

他者のいない自分一人だけの社会だとしてもいいので、

自分の社会性の観点に引き戻ってきたときに、ようやく

自分が幸せかどうかという判断を下すことができるようになります。

 

人生もそんなもんです。

死んだときになって、埋没していた魂が世界から浮かびあがって、

根源の意識を取り戻したときになってから、人生だったな、と思うのでしょう。

 

人は幸せになるために生きる、とはいうものの、

幸せなうちは自分が幸せかどうかなんて確認できないのです。

幸せかどうかを確認しようとする余裕があるのは、

世界に馴染めなくて、切り離されているから、

自分を対象化して、評価対象にすることができる。

 

評価することは、双対的に言えば評価基準によって空間を張ることであり、

その世界の創造は、適切な評価基準を選ぶことによって

エミュレートした社会の実現でもあります。

空想の中の社会的評価を通して自分を社会の中に潜り込ませ、

幸福の中に溺れる梵我合一へ向けた精神活動を、

人間は常に画策しながら生きています。

 

すでに社会との梵我合一を果たし、

幸福の絶頂に達している人にとって、

人間たちの多様性は、予想外の異物として知覚され、

自己と社会の一体感を、幸福を、破壊しようとする

侵略者として受け止められることもあります。

とはいえ、多少の現実で目が覚めてしまう程度の合一であれば

無理もない反応ではあります。

 

幻想から目を覚ましたくなるだけの因子が、

幻想へ向かわせようとする社会的抑圧への抵抗心が、

異物をきっかけとして、芽生えたのかもしれないし、

そうじゃないかもしれません。

 

幸せになるには、なにかしらの自分が信じる社会性があって、

没頭できることをやるといいです。

そうすると、躁になるっぽいです。

 

たいしたことでなくてもいい。

社会的にいいことを、ガーッとやっていくと、

興奮して、眠れなくなって、気持ちよくなります。

集中力が解けても、社会性は解かれずに、潜り続けたままだ。

 

ぼくは詳しくありませんが、ブラック企業の絆は、

こういう躁状態にあるのかもしれません。

 

社会と融合するのは、あなたです。