再帰性

こんにちは、ねんてんです。

 

存在とは一体なんなのでしょうか。

何が存在と非存在を区別しているのでしょうか。

 

 

物体との社会的な関係性を通して、

物体を存在として切り出して認識しているというありがちな話を認めたとしても、

そのような社会性を獲得する前にも、私たちは存在していたのではないでしょうか。

 

無意識から自己を切り出す前の私たち、赤ちゃんやラリったジャンキーは、

すべてが一つになっているといいます。

 

古くは錬金術における言葉としてエメラルドタブレットにも記されるという

一は全、全は一というようなメッセージも

鋼の錬金術師の影響で有名になっています。

しかしどのように解釈するのが適切なのかについては何も知らないので

こうした神秘に深入りすることは専門家に譲ります。

 

 

 

私たちが無意識と意識を区別する前の状態について考えていきます。

自他を区別することのない状態における自己概念は一体どのようなものになってしまうのでしょうか。

 

それはきっと、自分自身によって自分を認識するはずです。

自分以外には何もないのですから。

自己を捉えるのに再帰性を利用するということです。

社会的な関係性や、束縛条件などの、外部的な概念を利用することなく、

自分自身の観測・判断によって自分を定義するということです。

ワンネスにおいて、自分=世界は再帰することになります。

 

もし、ワンネスの中に、社会的な関係性が入り込んだとしたら、

その関係性の内側と外側で分類が発生して、ワンネスは崩壊し、

私たちが社会性を持って認識している普段の世界が構造化されていくでしょう。

 

ワンネスの中で社会性・関係性・束縛関係を利用することが難しいとしたら、

そのなかで世界を捉えるには、再帰性が欠かせないものになります。

梵我合一的なプロセスを持つ自己実現・願望実現においては、

社会性ではなく再帰性による自己決定が重要な方法になります。

 

再帰性は、自由に関する創造的な具体化を促してくれます。

空間に余計(?)な関係が入っていない時、その空間が自由だといったりします。

(例えば自由ベクトル空間や自由加群など)

しかしその自由はあくまでも関係性から自由・関係性を持たない(relation free)という意味での自由です。

それに対して、再帰性によって実現される自由は、自己観測し、自分自身を自分で定義するという、自分の自己決定権を利用した自由です。

社会性や束縛からの自由というある意味破壊的な現象とは対照的に、

再帰性による自由は、自己概念に関して創造的な現象です。

 

最近、スピリチュアルにおける悟りと引き寄せが対照的だという話を耳にします。

この件について自由の概念から捉えるなら、

悟り型の人が社会性からの自由を志向するのに対し、

引き寄せ型の人は再帰性による自由を志向している

というようにも言えるでしょう。

こうした双対的な側面について、ワンネスの概念は

ある種の自己矛盾にも思える統合を提示することができます。

 

例えば、自己に原因を求めるのか社会環境や世界に原因を求めるのかという対立について

「世界に原因があり、そして私が世界だ」と答える考え方を可能にします。

これはとても力強いですね。

そして、この考え方は自己責任でありながら、他人に対してそれは自己責任だ、

などといって問い詰める考え方を生み出すことのない、とても平和な世界があります。

世界に原因があって私が世界だからです。他人も私です。

なんだか気持ち悪いですね?社会性を抱いて生きるのは大変ですね?

 

すべての対立を解放するのは、あなたです。